岡田斗司夫のオタクひとり旅12月号「12月のまとめ」

手触りまで感じた。ハンドルの手触り。石の手触り。
自分が触ったことなどないのに。


現実と現実感。
かつて住んでいた町。同じ道、同じ町並み。
でも違う。もっと道は広かった。もっと町並みは大きかった。こんな町ではなかったはず。
かつて自分の住んでいた家。もう他人が住んでいる家。でも自分の家に間違いない。


自分の家なのに自分の家じゃない。自分の家のはずがないのに自分の家。
ドア。ハンドルを掴む。開けたのかと思ってドキドキした。
岡田少年が出てきそう。でもそんなはずはない。別の家族、別の日常があるに違いない。それが現実。
でももし岡田少年が出てきたら、岡田さんの家族が出てきたら、やっぱり感じたほうが正しかったってこと。現実の方が間違っている。ここは何も変わっていないあの日々。


現実と現実感。どちらが正しいのかドアを開けたら分かる。でも開けないで帰る。
開けたらただの現実しかない。別の家族が出てくるだけ。現実感が消える。


本当の金。本当の仕事。本当の世界。
本当って現実と現実感の間にあるものなんだろう。その間の扉のことなんだろう。
開けたら消える本当。掴んで離したくない本当。いつまでも掴んでいられない本当。


現実感は自分なしにあり得ない。他の人にはただのハンドル、ただの家。ただの現実。
圧倒的な現実感は、そこを確かに自分が生きていたから感じるものなんだろう。


もし自分が扉に触れてしまったら、「本当」に触れてしまったら。でもきっとすぐ開けてしまう。現実になってしまう。
なかなか言葉にできない。それでも言ったほうがいいってことだろう。ニコ生とかで。
そうすればただ自分の感じたことだけのはずなのに、どういうわけか誰かに伝わる。
手触りまで伝わる。