エンディングノート

NHKのニュースで流れてた。娘が父のガン告知から死までを映画に撮る。10/1公開。


ドキュメンタリーではないな。
カメラの前でも父は自然に振舞う。娘がカメラを回すのが日常だったから。
娘の意図を読んだかのように振舞ってくれる。家族だから何も言わなくても分かる。
ドキュメンタリーってよそ行きの顔から、家族の前で見せる顔がこぼれる瞬間を撮るものだと思うんだけど、娘が撮るなら区別が無いよな。いつもの顔。


やっぱり映画だ。でも映画ってなんだろうな。
映画って、身内が信頼する身内の俳優を身内の演出で撮るものなのか。それが映画なのか。
スタッフはどんどん固まる。でも撮るほうも撮られる方も身内で固めた映画って面白いのかな。だから誰か他人を演じることが必要なんじゃないのかな。


純粋なドキュメンタリーなんて無いよな。カメラがいたら、視線感じたら、そこにいるだけである意味身内。本当のよそものは追い出される。
純粋な映画も無いよな。自分で自分を自分のままに撮る。自分が一番の身内だから一番純粋。この映画がそれに近いかも。
そうやって父親自身の監督作なら印象が変わったかもな。でもそれでは純粋な映画になってしまって、もう映画ではいられなくなるのかな。娘が撮ったからギリギリ映画なのかな。カメラを覗いた方は身内ではいられない。
父が娘に監督の椅子を空けたってことかな。娘を映画監督にするために。


こんな家族にしか見せない顔を、俺が見てもいいのかな。よそ行きの顔だからいいのかな。俺も身内なのかな。


見てもいないで変なことを書いているが、この文は映画なのかなドキュメンタリーなのかな。