ガンダムの家族論

読了。
「クリエイターを名乗る人なら、「公」の場に〝病気〟を垂れ流さないでほしいのだ。こうした考えが、表現の自由に反しているとは僕は思わない。日陰の花(これは差別的な意味はない)にはそれにふさわしい場所があって、そこから出てこないのが、大人の倫理なのだ、と僕は言いたいのだ。」
これは違うと思う。富野監督自身がこれなしに癒されなかった。自分自身を癒す。それが他人の癒しにつながり得るのがクリエイターの可能性だ。クリエイターの可能性のない人などいない。
病気の苦しみを飲み込んで一人で抱える。それをどう解決するか。作品に表れる自分の病の姿を自分で見て、他人にも診てもらう。そっちの方がつらい道。恥ずかしい道。
この世界の公でないところは頭の中と暗い自室しかない。自分一人で病気を抱え続けたらどうなるか。
たとえ自分ひとりの命でも勝手に死ぬのは駄目だ、俺が診てやる。というのが大人の倫理だと思う。
作品を作って見られたくないなら発表しなければいい。自分のそこは見られたくない思うのは何故か。病人にその自覚があれば対処は楽でしょう。社会生活もできるでしょう。
いざとなれば一人で病院に行けるのが大人。病院で騒がないのが大人。
心配するなみんな病気だ。必要以上に病気を怖がるのも別の病気だ。ネットでどんどん発表すればいい。
本当は人の病気を面白がるほうが酷い病気なのかもしれないし。