誤解

昨日の話。


そこまで間違った理解をしてはいないと思っていたんだけどな。でも言い方がまずかったかな。後ろ半分切られたのはなぜだ。
精神科医が患者に抑圧をかけてどうする、って言ったつもりだったが分かりにくかったかな。
しかし誤解しているのは相手の方だと互いに思っている。


それは違うって言われたので、ちゃんと分かっているって反論したい欲望。無視できない感じ。
やっぱり自分は分かっていないのかって、自分が間違っていました、もう一回勉強しなおしますって思う感じ。
どっちでも相手の勝ち。どっちでも自分の負け。師弟の欲望。
師への欲望を喚起させる技。それで離れるならしょせんそれまでって相手は傷つかない。
必ず負ける。
しかし本当に誤解なら、解けるまでいつまでもこっちの誤解のまま。それも負け。その可能性も高い。


論壇ってその体質がプロレス。言葉の体質がプロレス。
文脈を字義通りに受け取るか、お約束込みで受け取るか。自由自在に変える事で新しい可能性を引き出すのが思想家。
リングの上で殺すって言ったからって真に受けてどうする。本気で殺してどうする。
そりゃ文脈を考えろって言うだろうな。でも死ぬかもしれないのがプロレス。言葉で殺される。


一つしか読めない文脈。必ず誤解するポイント。リングの上でなくなる場所。そこだけは同じ振る舞いを繰り替えす言葉の繋がり。そういうところがあるんだろう。私にも。
そういう読みしかできないから抑圧になる。本気か冗談か切り替えられないところ。別の返しが出来ないところ。
抑圧がかかっている。相手が同じ反応を返してくる。そうしたら別の方法を考えるのが精神科医だろう。同じ言葉を引き出してどうする。言葉を封じてどうする。
プロレスだって言い訳が通用するのはリングだからだぞ。世の中プロレスラーばかりじゃないぞ。
ただそっちの都合で一方的に負けさせられる相手とは戦わないぞ。


でも自分が誤解しているかもしれない。別の読みの可能性。
自分が必ず誤解するのはどういう文脈なんだろうか。それを知ることができるだろうか。
でもその当人以外になら解けるんだろう。誰かを迂回して理解する。自分もそういうのを狙ったつもりが無理だったかな。かわされたな。
真に受けたら痛いからな。


その文脈だけは決して相容れないって文脈。読めない文脈。見えない文脈。
それを解くには誤解した相手に加えて第三者が必要なんだろう。負ける相手が二人になる。
負けてばかりだ。やっと読める。
負けなきゃ読めない。