評価経済社会 その45

評価すると褒めるって違う。


何にでも高い評価を与えるって当てに出来ない。
評価には順序ができてしまう。いいものとそうでもないもの順番。きちんと順番が出来ないと評価と呼べない。
評価するには他のものとの比較が必要。


何でも褒めるって当てに出来ない。
評価と違って褒めるなら誰とも比較が必要ない。でも前と同じところを褒めてもらっても嬉しくない。
褒めるには変化を見逃さないことが必要。


低い評価は受けたくない。でも誰かが低い評価を受け取らないと評価は成り立たない。
評価するって嫌な人戦略なんだろう。だから褒めるがいい人戦略になる。
評価経済社会は誰もが嫌な人戦略から逃れられない。


いい人戦略が長期的に考えた戦略。それなら評価は短期的な戦略なのかな。
どちらの戦略もやるのは先生だな。評価経済社会は皆先生になるのか。先生はどちらもやらないといけない立場だからな。どちらかだけではいい先生になれない。
赤ちゃん、幼稚園児、小学生。長期的な考えで皆接する。中学生、高校生。段々短期的結果を求められるようになる。点数をつける。褒められなくなる。
悪い所を指摘して改善案を教えるって嫌な人戦略。その場で終わる短期的戦略。手伝って解決するならいい人戦略。長期的戦略。
評価するところと褒めるところ、どちらの戦略もできないといい先生ではないな。


嫌な先生に言われるのは嫌。大したことない先生に評価されるのは嫌。嫌な先生に褒められても嬉しくない。
評価がぶれるのも嫌。えこひいきも嫌。
先生は大変だ。皆大変だ。


誰もが誰もに評価される世界。その上歳をとるほど褒められなくなる。偉くなるほど褒められなくなる。短期的な評価しかもらえなくなる。
誰だって褒められたい。いつまでだって褒められたい。