教育

政治は教育に介入してはいけない。市場原理は介入してはいけない。


じゃあどう介入するならいいのか。誰も介入するなってことではない。誰も介入していないわけじゃない。
教育者を名乗っていれば政治的に介入してもいいのか。損得で動いてもいいのか。
どんな人に介入する資格があるのか。
命令して強制して、競争して取引してって教育とは違う。それはそうなんだろう。何となく。


少なくとも初等教育は解決済みの事柄を問題にまで分解すること。出来上がっているパズルを分解して生徒に再構成させること。
あのわかった時の喜びを追体験させること。
それが将来未解決の問題に挑む力になるってことだろう。


過去の偉人が一生かけて辿り着いたことを追体験する。
ただ結果だけを手に入れてもしょうがない。
でも結果があれば競争には勝てる。結果だけなら早くは手に入る。
理解を確認するためのテストを生徒の競争の動機付けに使って先生が楽をしようとしているんだろう。


いい先生は自分が教えたって言わない。生徒がやったことだって言う。
先生がやったんでは追体験にならない。問題をその生徒に合わせて分解する。そうやって個々の生徒に関与する。やるのは生徒。
先生は自分が関与した、介入したと言わない。そ知らぬ顔をして嘘をつく。


命令したり強制したり競争させたり取引したり。そんな正直な介入をするのは教育者にふさわしくない。
自分が介入しているのにしていない振りをする。その狡さを自覚していないと教育者にふさわしくない。


もう解決済みの問題を、何故個々の生徒がもう一度解かないといけないのか。どうして私がやらなければならないのか。
教育者は関与するけどしない。答えを出すのは個々の生徒。
自分の人生という未解決の問題。