ニコ生思想地図「ばらばらな社会は経験を共有できるのか」宇川直宏×東浩紀

朝から4時間見てた。長い。
酒が入ってきてブーストかかって誰にも止められない。


福島復興ブランド化。そのためには物語が必要。安くていい物その上の価値が必要。福島がカッコいい、福島がクールだと言われるような物語。
経済の話が物語の話に繋がるのが自分の興味と重なる。
物語を作るのは、ストーリーを作ることではなく、過去のノイズから物語を読みとること。ハプニングに意味を与えてつなぐこと。
今は特定の誰かが都合のいい筋書きを作っても誰もついては行かない時代。この先を示すことができない。
物語化はその事象が必然だったという文脈を生み出す。そうなるしかなかったと。それが同時に反発を生む。悲劇を必然の文脈に入れられたら怒るのは当然だ。


今後の日本のビジョンが必要。ビジョンは物語。
それなら日本の歴史を読んで物語にしないとビジョンは生まれないはず。どういう風に読むのか。
ブランドってアップルが示すように、何かを捨てること。ブランドにふさわしくないものを排除すること。
読むことは何かを読まないこと。読むことは必然的に起こった事象以外の可能性を排除すること。
日本から日本にふさわしくないものを排除して、結局現状の肯定ばかり。果たして受け入れられるのか。
日本をどこまで広く読めるか。


全てを必然にすること。そんなことが許されるのか。
人々の思いを汲まないと誰にも許されないだろうな。
誰が読むのかって話にもなる。外の人か中の人か。誰にそんな資格があるのか。
色々な人が読むしかないかな。それを語るしかないのかな。特定の誰かの読み方が正しいといわれてもついていけない。
物語が反発を生むのは当然なのかな。反発を原動力に読まれなかったものを読んでもらわないとそこが物語になれない。
そして誰も読まないものは自分が読むということになるのかな。


しかし長い話だった。同じ話、ネコ会議にループして、断絶して、共有すると思っていたことも実はバラバラ。
それでも2人の話はまだまだ続く。物語の結末は読み手のいる現在なんだから、物語も更新され続けるのかな。
多くの人に続きを喚起させる物語なら広く受け入れられるだろうか。


つづく。