twitter その8

ネタとか皮肉とか冗談とか、いずれネットでは全部通用しなくなるかもしれないな。Twitterに限らず。
ネットの発言って全て公のもので、どんなに独り言を装っても全世界に怒鳴っているようなものだからな。いつまでも残るし。


全てを言葉通りに解釈されて広まるのを留めることはできないな。政治家みたいに、いずれ誰かが振り返って失言ってことにされるな。
今は釣られたとか炎上とか、言った方と反論したほうのどちらに非があったのかが、何となく多数決みたいに決まるけど、自分がいつまでもその判定に従えるかは微妙だな。
かといって半端に口出すのは怖い。当事者にでもなったらなおさら黙っていたほうがいいってことになってしまう。余計なことは言わないようになる。


完全に閉じた仲間の間で、文脈共有している仲間で楽しむことはできても、その外ではお行儀よくしましょうってなるかもしれないな。
ネット人口増えれば冗談も通じない面倒くさい人の絶対数が増えるからな。人口全体に占める割合は同じでも、絡んでくる人の絶対数が増える。
俺みたいな面倒な人が増える。やれやれ。
それでも閉じた中だけでなく、広く受けを狙いたい人は、匿名やキャラになりきってネタを続けるかもしれない。それならネットの言葉も今のように多様でいられるかもしれないな。
それでも特定される恐れはある。


ミクシィフェイスブックに息苦しいって感じは、私的な関係でも公的なイメージを守らなきゃいけないストレスなのかもしれないな。
公的なイメージを守っていられる人は使えても、そこでこそ私的な内面をさらけ出したい人にはネットだけの関係でしかない相手に見せるのは不安だからな。コピーされて貼られるから、ネットに繋がっている限り不安は続く。
結局リアルと同じで開放感がない。


ネットこそ公的な場所だから行儀よくしましょう。私的な関係はリアルで満たしましょうって世界になるかもな。
リアルでは悪口や愚痴や冗談を、信頼できる家族や仲間と話して、ネットではできるだけいい人に振るまう。行儀よくする。
そんないい人に疲れたら匿名やキャラになりきって発散する。


ネットとリアルが反転したらリア充の意味も変わるな。