さむおれ本気ラジオ

http://www.ustream.tv/recorded/17205694

本気を聞く。海燕さんが本気出すとついていけるかな。
前提を共有できないとつらいかな。


この社会って何かおかしいよねってこと。
おかしい社会でどう生きるかってこと。
そこで生きることにロールモデルはあり得るかということ。
そんな社会にも通用するロールモデルが物語の中にあり得るはずだということ。
このあたりを共有できないと聞いていてわからなくなるだろうな。


社会はおかしくない。この社会に求められる人物像、ロールモデルを、現実の人に据えて生きていくって人には一切関係ないラジオ。
今までなら通用したロールモデルがあやしくなった。かといって周りをを見渡すとあらゆる選択肢が目の前に広がり選びきれない。敢えて選択肢狭めてでも何かをしなければ何者かにはなれない。
何かを選ぶ不安、何者にもなれない不安。


そんな社会がおかしいかおかしくないか、どちらと見るかで同じ行動が勇者かテロリストか意味が変わる。
社会が守るべき王なのか倒すべき魔王なのか意味が変わる。


おかしな社会で勇者が魔王を倒すまでの物語はある。ただその続きはどうなる。次の王はどこにいる。どんな物語にいる。この社会にふさわしいモデルはまだ見つかっていない。
ならば現代の王はともかく過去の王には物語があったか。


そもそも王の物語ってあったかな。主役が王様で善政が続くって話。それじゃあ物語にならないな。
どうして王のロールモデルがないのかは、きっとそもそも物語に王がいられないからだな。
王が物語の主役になるのは、玉座に登る際と降りる際、降りた後。善政を続けていても玉座に座ったままでは主役になれない。物語にならない。だからロールモデルがないのか。
暴れん坊将軍のことみたいだな。


真の王は物語の第一章第一節から既に王。どんなに身をやつしていても王の風格がある。だからこそ玉座にまで登りつめる。グインしかり。ラインハルトしかり。アルスラーンもそうだろう。


真の王を目指しましょう。いや、もう王になってしまいましょう。
いずれ頂点に立ったらどうするか、ロールモデルはありませんけど。
次の王になるならばそれでよし。残念ながら魔王になったら勇者が来るまでがんばりましょう。


どうすれば王の風格が得られるのか、真の王でいられるのか。
何も無くても誰もいなくても、それでも真の王ならば王なのか。どういうことなのか。
自分で書いておきながらどういうことかわからない。
とりあえず色々読んでみます。