あたりまえのこと

自己批判にしても自己嫌悪の表明にしても、また弁解にしても、自分のことを語ればそれは所詮自慢話でしかない」(倉橋由美子『小説論ノート』)
前に読んでいたのをタイムラインで流れてきて思い出した。
こんなブログ涙目。結局全部自分のことしか書いていない。こんな文章でも自慢とは情けない。
自慢話にならない方法があるか。誰かに語らせて誰かの自慢話に置き換えるのが小説家の仕事なのか。
「空が青い」は自慢でなくて、「私には空が青く見える」では自慢なのか。変なの。
署名のある文章はそもそも自慢から逃れられるのか。何でこんなことを言ったんだろう、書いたんだろうと思われたら。作者の自分語りに受け取られたら、読者にとっては自慢話。
匿名の文章だって背後に誰かいる。いない振りをすれば自慢している自分を消せるのか。自分の自慢を匿名で他人の振りしてするのか。ちょっと感じ悪い。
自慢話をしたければ、ちゃんと聞いてくれてる人にお裾分けをしろってことか。何かを持って帰ってもらう。
それとも自分語りを黙って聞くほど暇じゃない。面白くしろってことか。
どんどん自分の首をしめている。